ありきたりなあれこれ

脈絡のない話です

手紙のかわり

昔いろんな人から手紙をもらっていて、
実家に帰る度に再び手に取ったりしていた。

ちゃんと読んだはずなのに、覚えてないものがほとんどで。
当時は、本当の意味では受け取ることができなかったんだなぁと改めて感じる。


素直になれず腐っていた過去より
こうやって思い出す機会がなければ、人からの気持ちをなかったかのように生きている現在の自分に、ちょっと哀しくなった。


もう一度目を通してみると
このままそっと大事にしまっておこうと思うものもあれば、
間に合わなくても返事を書いてみたいと思うものも少しだけあった。


どれが特別とかじゃなくて
どっちもぴったり同じくらいの重みで、大切な手紙なんだけど。


可能な人には、自分の気持ちを綴ってみることにした。



久しぶりに字を書くと、
スマホでカチカチ打つのとは違う。
何かが違うけど、でも何だろう。
って思って。
だんだんわかっていく気がしたのは、

頭に浮かぶひとりの“誰か”のことを思って気持ちを表そうとしてるかどうかの違いなのかなぁって。



SNSやこういうブログなどで
ただただ自分の思想や理念、感想を
好きなだけ自由に公開できる機会はかなり増えた。

LINEだってメッセンジャーだって利用するけど、
言いたいことを縛りなく垂れ流しできるツールが増えたおかげで
一対一で人と向き合う時間はずいぶん減った。
少なくとも私は。


顔の見える誰かと対峙するのは、結構面倒くさいことも多くて。
こんなこと言ったら気分害すよな
腹立つかな、わがままかな
自慢って思われるかな
とか。

伝え方によっては意図せず傷付けたり傷付けられたりするし、
自分を曲げたりしないと丸く収まらなかったりもする。

結果、
相手を誰か指定しないで主張をすることがすごく増えた。
自分自身もだし、まわりでもよく見かける。

率直な意見を臆せずに書き、
これを読んで、自分の考えを知って、
それでもついてきたいと思える人はついてきて。
嫌われてもかまわない。
と、心のままを明け透けに語る。

媚びない。
迎合しない。

自分を殺して不自然に歪んでいくよりはいいし、必要だとも思う。


ただそれが続くと、
それだけになってしまうと、
なんだかとても淋しく、つまらないものなんだと感じるようになった。

本当は
不満や怒りも
こんなに楽しい!幸せだ!っていうアピールも
日々思うことや感じることを主張するそのほとんどは、
しっかり紐解いていくと
漠然とじゃなくて、そんなに大人数じゃなくて、
ちゃんと伝えたい人が存在してる気がした。
具体的な誰か。


そこから逃げてしまってた部分がある。


相手を慮りつつ、自分の気持ちもうまく伝えるというさじ加減は人によって様々で
まさに面倒だし、もどかしくて放り投げたくなる。
勝手に言っとくから聞きたい人だけ聞いて!っていう方が楽。

でも結局は努力したくないだけなんだと。



今のネット社会が与えてくれたものは大きくて、
疎遠になっていた人や見ず知らずの人との間に新しい繋がりをもたらしてくれたり、日常も豊かになったし
確実に世界は広がった。
それはけして、薄っぺらくなんてない。

けど
大衆の中でありのままの姿を示してのびのびと居続けること
より
ひとりに対し誠実であること
は、昔よりずっと、難しくなったのかもしれない。

良くも悪くも、個人との距離も広がったというか。






誰かに向ける
誰かに届ける

という苦労。
と、その大切さ。



カリカリと文字を書きながら、そんなことを考えてた。
たとえ同じような内容でも、この便箋に触れてくれるただひとりの人のことを考えて出てくる言葉は
きっと実体のないものや漠然とした対象では生まれてこない気がする。



長い時間をかけて出した手紙には、
書き上げただけで満足するような達成感があった。


一方的に主張を炸裂させて発信した宛先のないものの方が、
よっぽどまわりの反応が気になったりするから不思議。


そして、思いがけず返事が来た時はとても嬉しかった。
私が正直でいたら、相手も正直を返してきてくれる。

必ずしもそうじゃないというのが、
自分以外の他人にガチでぶつかるのを避けたくなる所以でもあるけど…

それでも替え難いものがあるから
やっぱり省いちゃいけない。


なるべく、顔の浮かぶ誰かに向けて気持ちを表していくことから遠ざからないように。



とはいっても、
常に対他人にしか思いの丈をぶつける手段がなかったとしたらそれはそれで辛いし、
思うままに心境を吐露する場所も必要だと感じる。
多分、どっちが良いとかじゃないんだろう。


ブログを始めたのは、そういうふたつの気持ちから。

もちろん一対一とは真逆の、基本はひとりよがりになってしまうけど

書けない手紙を書くようなことがしたい。



頭の中でぐるぐる浮かんだり、感じたりしたことって

よく「あーあの人だったらわかってくれるかも」
とか、あの人に伝えたい、
と、いきなり思ったりする。

家族や親しい人ばかりじゃなくて、
今はあまり親交がなかったり
全然会えない人だったり。
昔から特に仲良かったわけでもない人とか。
本当に様々。


ただ、花火みたいにぽっと出てすぐに消えちゃうんだ。
その人の顔も気持ちも。

そういうのに対し、逐一手紙は書けないよなぁと。





もらった返事の返事も、延々と続いたら負担になるかも?と考えたりして
書きたいけどすぐには書けないし

今はまだ渡せない人もいるし、
もう二度と届かない人もいるし。
 


封筒に入れて相手に届ける、そのハードルは相変わらず高いまま。
そんなにじゃかじゃか出せない。
だからこそいいのかもしれないけど。


手紙になるひとつ前の部分って、いっぱい溢れてるのに。

なんとなくもったいなくて、
留めておきたい気がして。



そんなわけで、その代わりというのも変だけど
本当に脈絡のない雑記の中に
たまに、誰かを思い浮かべて書いたりしている。


 
当然一方的だし、宛先もただひとりなわけじゃないし、
目にした人の心にひっかかってくれたらいいなという期待もこめた
ずるい手紙たち。



読んでくれた人がいたらありがたい。




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ちょっと前にやってたドラマに、出てきそうな一枚。
おっ、と思って撮った。だいぶ古い話。

送ろうとした人がいたんだけど、結局タイミング逃してなんだかんだでできず。

そもそも特にこれといった思い入れもない写真で
食べる前の食事と同じ、
こんなのあったよ、的な。

送らなかったというのは、そういう小ささというか軽さなんだろう。


どうしても伝えたかったわけじゃなく、
今届けたいわけじゃなく、

  
これ撮ったとき、ふと教えたい人が浮かんだりしたっていう気持ち。
は、とっておこうかなと。


やっぱり自己満だ。